児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

若き監督からの戦闘宣言:「ゆるし」

Vol.98 更新:2024年9月9日

▼手練れの監督が統一教会と山上徹也を扱った1年前の映画は、主人公の川上こと山上自身が天上の「星」になることによってのみ、家族の和解がもたらされる作品だった。一方、新人監督(平田うらら)による「ゆるし」もまた、家族の一人が海の下へ還ることによって(つまり命を失うことによって)、はじめて「ゆるし」が成立する構造になっている。もっとも、「ゆるし」とはいっても、よくある腑抜けた予定調和の作品では、まったくない。

▼宗教二世の「すず」(監督が主演を兼ねる)は、「光の塔」の信者である母(安藤奈々子)から信仰を強要されてきた。幼少時より宗派の勧誘に同行させられ、母子二人で鮭一切れをおかずに夕食を摂った。ベルトでしばかれることもあった。宗教虐待にほかならないが、それは家庭内だけで完結せず、影響は学校空間にまで及ぶ。競争を否定する教義のためマラソン大会への参加を禁止されていた「すず」は、参加できない理由をクラス全員の前で説明するよう、教師から命令される。その結果、周囲の女生徒たちからは「カルト」と囃し立てられ、いじめの被害に遭う。そのような中で一人だけ味方になってくれたクラスメートは、「すず」に代わっていじめの標的にされる。クラスメートを助けにいった空き教室へ男子生徒が呼ばれ、レイプが行われる――。

▼これらに、子役の「すず」が車椅子の父の膝に飛び乗り、そこに入信前の母が寄り添うシーンが加わる。そして、この時点からどんな理由で母が入信していったのかを、祖父母の家で介抱されながら、「すず」は知ることになる。つまり、低予算(170万円だという)ゆえに、あらゆる枝葉を切り落として残った骨格だけが、示されているということだ。最低限の骨格のみを残しながら表現内容を落とさないでおこうとすると、どうしても説明ばかりが浮き出てしまいがちだが、この作品はそのような陥穽からも免れている。母役の安藤の鬼気迫る言動、いじめを主導する女生徒と祖父母との、動と静との対照性、子役の表情、そして「すず」が雪に打たれ横たわるシーン。いずれもが目に焼きつくように撮られている。これが、やはり撮影監督の初の仕事というから驚きだ。

▼作品のみで十分に伝わってくるから、周辺情報は不要には違いないが、それでも報道されている次のような事実は、忘備録として残しておく価値があるかもしれない。映画を撮るきっかけは、監督が大学3年だった2021年に、友人の宗教二世が自殺したことだった。遺書には「ただ親に愛してほしかった。神様でなく私を見てほしかった。」と記されていたという。監督自身も新興宗教に入信していた時期があるが、両親の支えを受けて約1年で脱会できた。映画を作るにあたって300人以上の宗教二世から取材した(以上、東京新聞)。監督が主演を兼ねたのは、俳優が2人も途中で降板したからだ(読売オンライン)。どれほど立派な宗教幻想であろうと、いったん家庭内に持ち込まれるや否や、家族のつながりは破壊される。そういう普遍的事実に対する、若き監督からの戦闘宣言の映画だといえる。