児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

勝ち誇った人のいない佳作:「PAST LIVES」

Vol.95 更新:2024年6月9日

▼私の嫌いなオバマ元大統領が褒めているというので気乗りしないまま観たのだが、観てよかったなというのが、率直な感想だ。「PAST LIVES」(セリーヌ・ソン監督)は、ニューヨークのバーで見かけたアジア系男女と白人男性の3人がどういう間柄かを、客がいろいろと推測するシーンから始まる。その後、このシーンと同一の状況へと向かって、ストーリが展開される。

▼12歳の少女ナヨンと少年ヘソンは、ソウルの学校のクラスメイトだった。成績が常に1番のナヨンと2番のヘソン。ある日、たまたま順番が逆転して泣くナヨンに、ヘソンは「僕はいつも2番だけど泣かない」と語りかける。卒業後、ナヨンは英語名ノラとして、両親とともにカナダへ移住するが、その直前に「思い出をつくってあげたい」という双方の親の意向で、公園で遊ぶ。幼い二人は、互いを将来の結婚相手として思い描いていた。

▼12年後、ノラ(グレタ・リー)は一人でアメリカへ移住し劇作家になって、ヘソンのことを忘れていた。一方、韓国で工学を学び兵役にも就いたヘソン(ユ・テオ)はノラを忘れられず、彼女の父のサイトへ投稿した。それを見つけたノラがヘソンに連絡して、2人はビデオチャットで旧交を温める。しかし、ノラは、「気がつけばソウル行きの便を検索している自分がいる」という理由から、しばらくのあいだ別れようと告げるのだった。

▼さらに12年後、ノラはユダヤ系の作家アーサー(ジョン・マガロ)と結婚し、グリーンカードを取得していた。ヘソンはアメリカを訪れ、ノラの案内でニューヨークを観光したあと、ノラとアーサーが暮らすアパートに招かれる。その夜、3人はバーのカウンターで語り合う――。

▼恋愛映画には違いないのだが、ノラとヘソンの後景にはそれぞれ、知らず知らずのうちに諦めたり切り捨てたりした夢や人間関係が漂っている。それは、平凡な大学で工学を学んだヘソンにとってみれば韓国のアッパーミドルクラスの宿痾のような上昇志向社会であり、ノラにとってはかつて自分を上昇志向へと誘った両親だ。逆に、切り捨てようとしてもできない人間関係もある。ヘソンにとってはソウルで同居する両親であり(その姿はノラによってvery Koreanと語られる)、ノラにとってはアーサーとの物質的にそれほど豊かとはいえない生活である。

▼ノラには捨てられない夢もある。ノーベル文学賞をとるという、子ども時代に抱いたアメリカンドリームだ。もちろん、やっと劇作家になった彼女にとって、それはおよそ実現しそうにない夢だ。だから、今の夢はと問うヘソンに対し、冗談のように「ピューリッツァー賞」「トニー賞」などとと返答するしかない。

▼こう見てくると、どこにも勝ち誇った人はいない。しきりに強調される「縁」などという言葉ではなく、そこにこの映画の良さと哀感がある。やはり初監督作品には佳作が多い。