すばらしい話だが安易な輸入は内部管理に:「ぼくたちの哲学教室」
Vol.85 更新:2023年7月24日
▼北アイルランドを舞台にしつつ少年が中心を占める映画として、「ベルファスト」という秀作があった。自伝的映画だという「ベルファスト」で描かれた9歳の少年は、宗教両派の暴力的対立の渦中に身を投じ、それを止める母と妻子を守ろうとする父は、最終的に少年と3人でロンドンへと旅立つしかなかった。
▼映画「ベルファスト」が描いた時代(1969年)から、ベルファスト北部アードイン地区にあるカソリック系小学校を舞台にしたドキュメンタリー映画「ぼくたちの哲学教室」(ナーサ・ニ・キアナン&デクラン・マッグラ共同監督)に描かれた現在までのあいだには、半世紀以上の時間が介在している。半世紀のちょうど中間にはベルファスト合意が結ばれたが、ナショナリスト対ユニオニスト(カソリック対プロテスタント)の対立が完全に終わったわけではない。それどころか、2001年に起こったホーリークロス女子小学校事件では、通学路で子どもたちがロイヤリスト(強硬派ユニオニスト)に脅迫された。
▼現在、アードイン地区では宗派間の激突自体は減っているといわれるが、ピース・ウォールという皮肉な名の分離壁は残っている。加えて、自殺とドラッグの問題は増加の一途をたどっているという。そのような状況の中で、ホーリークロス男子小学校校長のケヴィン・マカリーヴィーは、哲学を学校教育に導入した。「不安とは何か?」「友達とは何か?」実際のトラブルに際し、このような問いを校長は子どもに対して発する。次々とあがる意見を、別の子どもがホワイトボードに記していく。(コンセプトマップというらしいが、マインドマップのようなものか。あるいはKJ法に似たものかもしれない。それらに対し、「ソクラテスの仲間」と呼ばれる同級生がコメントする。
▼「怒り」と「暴力」のコントロールを、どう身につけるかという切実な問題もある。ホーリークロスは全体に学力のレベルが高い小学校だが、労働者階級の街にあり、そこでは自殺や薬物とともに犯罪も多い。若い頃、暴力も辞さない男になろうと行動していた校長(地域の父母たちと同じバックグラウンドを持っているということだ)は、そのことに対する反省から、教育による改革ができると考えを改めるようになった。怒りのコントロールのためにはトリガーをみつけることが全てだ。そこでセネカの感情管理である4つのR(考えるreflect、理解するreason、答えるrespond、再評価するre-evaluate)が持ち出される。
▼最近、ケヴィン校長が訪日し、日本の学校で哲学の授業をしたとの報道があった。すばらしい話だが、北アイルランドの歴史的社会的背景から切り離して「哲学教室」を安易に日本へ輸入するとどうなるか。時代や社会と渉り合うことの決してない内部管理に使われるだろう。否、もう使われているかもしれない、アクティブ・ラーニングやメディテーションといった形で。こういう換骨奪胎は日本のお家芸だから気をつけたほうがいい。なお、英語の原題はYoung Plato(若きプラトン)――子どもたちへの敬意が感じられる言葉だ。