児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

面倒でも青春をやり直す:「ぬけろ、メビウス!!」

Vol.81 更新:2023年3月13日

▼先日、リバイバル上映で舟木一夫の青春映画を観ていて、昔は気づかなかった主題歌の歌詞に驚いたことがある。労務管理モデル地区(福利厚生がしっかりしているというお墨付きをもらった町)にある繊維工場へ集団就職した女子工員たちは、高原の旅で歌をうたい月夜に恋人とボートを漕いで楽しむが、いつしかみんな嫁いでいなくなってしまう。童謡詩から軍国詩を経て歌謡曲へと移った西條八十の作詞だ。よく考えると、これはなかなかの哀歓を湛えた歌詞であるとともに、青春をくぐりぬけた後、それを捨て去ってはじめて、結婚し子を育てる資格が得られるという、冷徹な鉄則を教える歌詞でもあるといえる。

▼では、青春をくぐりぬけ捨て去ることなしに、幸福な人生を歩みつづけることは可能なのか。不可能だ、ある年齢の頃までに青春を謳歌した上で終了していない人は、面倒でも青春をやり直すしかない。これが、映画「ぬけろ、メビウス!!」(加藤慶吾監督)の答えだった。

▼おでん屋を営む母(藤田朋子)に言われるまま、地元の専門学校を卒業した優子(坂ノ上茜)は、やはり言われるまま地元の建築会社に勤める。しかし、契約社員の優子は、いわゆる5年ルールにより、雇い止めを告げられる。雇い止めは、同僚の出産による休職だか退職だかのため、取り消しとなる。それでも優子は、会社を辞めて東京で大学生になるのだと決め、受験勉強をはじめる。その過程で、母から紹介され付き合っていた婚約者の太一(細田善彦)がいるにもかかわらず、金持ちの息子で海外滞在歴の長い瑛斗(田中偉登)にときめくコミカルなシーンが挟み込まれる。また、高校時代の合唱コンクールで真剣に練習したちっぽけな記憶がたった一つの財産なのだから、今度だけは自分の考えを認めてほしいと、母に襖越しに訴えるシリアスなシーンも描かれる――。

▼ちなみに、優子の目指す三流大学は、聖アボンリー学院大学(略称アボ学、蔑称?アホ大)というネーミングだ。ことほどさように、シリアス・コメディとでもいうべき趣きの作品に仕上がっていて、観て損はないと思う。ただし、「まるでトレンディドラマみたい」といった言わずもがなの科白が混じるだけでなく、全体的にテレビのホームドラマ風でお行儀の良すぎる感が否めないつくりになっている点には、不満が残る人もいるだろう(私がそうだった)。加えて、メビウスの輪の比喩についても、あまりにも陳腐と思ってしまうかもしれない(私がそうだった)。しかし、そういう陳腐さを通り抜けない限り、誰もが青春の先を展望できないことも、また確かだ。

▼蛇足。優子の母が営むおでん屋は、文字通り何の変哲もない店で、これで客が来るのだろうかと心配になる。実際に常連客や優子の会社の部長(この2人にはとても好感が持てる)以外には、ほとんど客の姿がないようだ。優子の元同僚で、宅建の勉強中の奈月(松原菜野花)あたりが、準常連客だったらよかったのにと、勝手に思う次第だ。