児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

成功した啓発映画の条件:「ほどけそうな、息」

Vol.77 更新:2022年10月11日

▼まったくの私見だが、啓発映画と教育映画の境目は、つくり手の意図とは無関係に、確実に存在すると思う。まず、成功した啓発映画というものが、現実にある。そういう映画では、文字通り啓発的な素材を扱いながら、主張はぶれないものの押しつけがましさはなくて、しかも一つだけ半玄人好みの小場面が挟み込まれている。(皮肉や揶揄で「半玄人」と言っているのではない、好意的な言葉として使っているつもりだ。ちなみに、本格的な玄人好みだとあまりにもマニアックすぎて、啓発映画には向かない。)一方で、失敗した啓発映画というものも、数知れぬほど存在する。それを、私は教育映画と呼んでいる。教育映画は、半素人好み(もちろん軽蔑を込めた言葉として使っている)の、ステレオタイプな主張を押しつけているに過ぎないから、すぐに飽きてしまう。

▼「ほどけそうな、息」(小澤雅人監督)は、間違いなく前者に属すると思う。この短編映画は、中央児童相談所に勤める若い児童福祉司のニシオ・カスミ(小野花梨)が、子どもを固く抱いて放そうとしない母親から、診察室で医師が血圧を測る隙に、一時保護をする目的でその子を奪い去って走る場面から始まる。(現実には、いくらなんでもあり得ないだろうと思われる場面だが、これはこれで終盤のややユーモアがまぶされた場面とつながるための伏線になっている。)

▼次に、カスミは、摂食障害でアルコールに溺れる母親のシノブを、救急車を呼んで助けたヒナという女児の担当になる。シノブは一筋縄ではいかない女性で、結婚もしていないし子どももいないカスミには何もわかるはずがないと怒鳴りつける。しかし、カスミがシノブの散らかった部屋を一緒に片づけさせてくれと頼み、協同作業の中で段ボールを紐で縛るシノブの手際に感心するあたりから、2人の関係は好転する。(児童相談所業務の現実に照らせば綺麗ごとのように見えなくもないが、真面目な児童福祉司は、こういうちょっとした経験を支えにして、仕事を続けていることも確かだ。)

▼ところで、この映画の半玄人好みの小場面とは、カスミの亡父が、やはり酒に酔ってカスミの母に暴力を振るっていたというエピソードについて語る箇所にほかならない。いわゆるアダルトチルドレンの中には、非の打ちどころのない娘さんですねと褒められるような女性のいることが、医療福祉業界では夙に知られていて、そういう存在としてカスミの姿が描かれている。過剰でも不足でもない、すっきりとした後味になっているのは、監督だけでなく俳優の技量にもよっていることが、私でもわかる。私は、自分の仕事と関連する映画をあまり観ないようにしているが、この作品は観てよかったというのが、率直な感想だ。

▼なお、私の観た映画館では、同じ監督の別の短編「まだ見ぬあなたに」が併映されていた。若年妊娠と特別養子縁組を主題にしたこの作品では、図書館司書という、利用者の秘密を守ることが絶対的に求められる職種の女性が、半玄人好みの人物として描かれていた。