児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

戦闘なき戦争トラウマ映画:「戦争と女の顔」

Vol.76 更新:2022年9月21日

▼正直に言って、秀作だが造りすぎの感が否めない。私がひねくれているせいだろうか。「戦争と女の顔」(カンテミール・バラーゴフ監督)のことだ。このロシア映画が、今年、日本で上映され注目を浴びたのは、2019年の公開当時における世界各地の映画祭での受賞ゆえにではなく、ひとえにロシア−ウクライナ戦争のためであろう。

▼独ソ戦後のレニングラードの軍病院で、イーヤという女性が看護師として働いていた。彼女は、戦友の女性高射砲兵の子どもを預かって育てていたが、育児中に「発作」が生じ、子どもを下敷きにして死なせてしまう。ちなみに、「発作」とは、カタレプシー(平たく言えば身体がフリーズし動かせない状態)と思われるが、これはさまざまな精神疾患や身体疾患で起こりうる。イーヤの場合は、戦争によるトラウマ(複雑性PTSD)により生じたというように描かれている。

▼複雑性PTSDばかりではない。この映画には、(ナチス型ではない現在のヨーロッパ型に近い)安楽死の場面や、代理母の問題と関連する場面、そして同性愛を示唆する場面などが詰め込まれている。それらが重厚に描かれているわけではないぶんだけ、造りすぎなのだ。言い換えるなら、この作品では、トラウマをもたらす要因は戦争である必要はない。だから、映画には戦闘シーンはまったく登場しない。何であれ、複雑性PTSDと子どもの死亡と安楽死とその他もろもろさえ描くことができれば、ロシアは後進性を脱しヨーロッパになりうる――意地悪く言えば、そういうモチーフに貫かれているのではないか。

▼イーヤに子どもを預けた高射砲兵の女性マーシャも複雑性PTSDに罹患していることが、映画では示唆されている、一方、この映画の原案である『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ)には、マーシャを思わせる元軍曹の高射砲指揮官ワレンチーナによる、長い証言が収載されている。ワレンチーナの母は早逝し、シベリアで農業ソビエトの議長だった祖父は毒殺され、党機関の全権だった父は国内戦の英雄で赤旗勲章をもらった。(つまり、彼女の家系の範囲だけでも党・軍とソビエトとの間の対立構造が見て取れるということだ。)中学を卒業したばかりのワレンチーナは、高射砲兵を志願し、短期講習で前線の指揮官になった。

▼ワレンチーナは、『戦争は女の顔をしていない』の著者によるインタビューに対し、次のように語っている。《最近、頼まれて、若いイタリア人の見学者たちに博物館で話をした。長々とあれこれ質問された。〔略〕なぜか、精神科にかかったことはないか確認しようとするの。〔略〕戦争の夢を見るかとか。》複雑性PTSDは限りなく重要な概念だが、他方でそれはリベラル派の定番になってしまった。だが、ワレンチーナは《同情する必要はないさ。私たちにはプライドがあるんだから。》と述べている。翻って、映画の中のイーヤとマーシャには、《プライド》がなかったということなのだろうか。