児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

二重三重のモキュメンタリー構造:「ドンバス」

Vol.74 更新:2022年6月10日

▼2014年のマイダン革命の直後、ウクライナ東部のドネツクとルガンスクでは、親ロシア武装勢力が蜂起し、それぞれ人民共和国の「独立」を一方的に宣言した。この時点からの約1年間を描いた一種のモキュメンタリー(モック・ドキュメンタリー)映画あるいは日本風に言えば実録映画が、「ドンバス」(セルゲイ・ロズニツァ監督)だ。

▼映画は、出演者たちのメイキャップ場面から始まる。彼ら/彼女らは、現場に向かうよう指示され、外へ出て走りだす。そのとき、数回にわたって爆音が響く。出演者のうちの一人は、外へ出たら人が死んでいたという嘘を、カメラに向かって話す――。

▼出演前の場面をメイキングフィルムのように見せることによって、これからモキュメンタリー映像が次々と展開されるぞと予告しているわけだが、そういう場面自体からしてモック(模造)であることが、すぐにわかるように作ってある。つまり、二重のモキュメンタリーとでもいうべき構造だ。

▼その上で、映画は、ウクライナの某市議会で女性記者が市長に対し、バケツに入った泥状の何かをかけるシーン、ボリスという太った男が産科病院で院長から賄賂を受け取るシーン、東部占領地域からウクライナ側へ院長を連れていくボリスのパスポートを確認するため、検問所のウクライナ兵が本部へ照会するが、パソコンが壊れているためわからないという返答が来るシーン……と続いていく。その他にも、怪しげな宗教団体が新政府(ノヴォロシア政府)からベンツを3台寄付させようとするも1台で十分だと返されるシーンや、ノヴォロシアの婚姻・家族法の下に行われているという設定の結婚披露宴のシーンなど、ブラックジョークが随所に挟み込まれている。そして、詳しくは書けないが、ラストシーンでは、冒頭の二重モキュメンタリー構造が巻き戻され、三重の構造になって余韻を残す。うまく考えて作ったものだと感心させられる。

▼この2018年の映画が、2年後の今日、日本で公開され関心を惹くのは、もちろんロシアによるウクライナ侵略が開始されたからだろう。しかし、こうなると、必ずと言っていいほど、ピント外れの言説がはびこることもまた事実だ。ウクライナ映画アカデミーが「ロシア映画のボイコットの呼びかけ」なるものを発出し、ヨーロッパ映画アカデミーは「ヨーロッパ映画賞」からロシア映画の除外を決定したという。侵略国ロシアと同根の発想というしかないが、事態はそれだけにとどまらないようだ。ウクライナ映画アカデミーは、ロズニツァ監督を、国家の独立を守る民族的アイデンティティを放棄して世界市民を名のることは許されないという理由から、除名処分にしたのだという。

▼私はウクライナ民衆の勝利を願ってやまないが、ウクライナ・ヨーロッパ両映画アカデミーのような、勘違いもはなはだしい組織が君臨している限りは、たとえ対ロシア戦争に勝利したとしても、その先には偏狭な民族主義国家が待っているだけではないか。