児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

ウクライナ・マイダン革命下の音楽:「ピアノ」

Vol.73 更新:2022年5月20日

▼『ペンギンの憂鬱』で有名な作家クルコフの『ウクライナ日記』には、マイダン(広場)のバリケード内に張られたテントの一つ「アート・バービカン」についての記述がある。そこには、革命的絵画の常設展があり、詩人や作家の朗読や講演があり、そしてシンガーソングライターのライブもある。ユーロマイダンの活動家には、作家もロック歌手もいる。彼らは革命を生きているが、敗北すれば全員が刑務所に拘禁されることを理解している。

▼加えて、クルコフの本の訳注には、次のように記されている。《街頭に置かれたアップライトピアノをリヴォフから持ち込んだ青年もいた。〔略〕青と黄色に塗られたピアノでショパンを弾く彼の写真は、フリーダム・ハウスの写真コンクールで優勝した。また、氷点下15度の夜に、目出し帽の活動家が弾く様子を通行人が携帯で録画したものが、YouTubeで50万以上の視聴を集めたりした。》

▼この状況を撮影したドキュメンタリー映画「ピアノ」(ビータ・マリア・ドルィガス監督)は、マイダン革命の翌年の2015年に制作された。これまで日本で上映されていたかどうかは寡聞にして知らないが、私は今年(2022年)になって初めて観ることができた。

▼この映画は、敷石を剥がし、投石用の大きさにハンマーで砕くところから始まる。その後、音大生とおぼしき女性、プロのピアニスト、目出し帽の義勇兵らしき青年が、それぞれピアノを弾くシーンがある。彼女ら/彼らを取り囲む民衆と活動家がいて、国歌「ウクライナは滅びず」がうたわれる。もちろん、国歌だけではない。(ちょうど、かつての新宿高校のバリケードで、若き坂本龍一の演奏するドビュッシーのピアノ曲が流れたという伝説のように)ショパン、シューベルト、そしておそらくオリジナルらしい曲も演奏される――。

▼気になるのは、マイダンの中でも、戦闘服姿のやや年配の男性(「右派セクター」か?)が、雨にさらされるままにピアノを放置し、また、演奏しようとする音大生を、熾烈な戦争下では、ピアノなぞ無価値であるかのように振舞う場面だ。再び『ウクライナ日記』に目を移せば、迷彩服を着た男女の活動家カップルが隊列をなして練り歩き、そのため政府は志願者を募って国民軍の設立を提案、そして彼らを対象にした軍事訓練が始まっているとの記述がある。この流れが、現在のロシアの侵略に抗する戦闘を支えているに違いない。

▼このような流れは、いわば楽器を武器に持ち替える動きであり、戦闘の局面ではそうせざるをえないことは確かだ。現在の侵略戦争の状況に対峙しようとすれば、私もそうするだろう。だが、それはあくまで過渡期の状況ではそうするということであり、究極の目的が愛国主義にあるのではない。ウクライナ国歌には「コサック民族の血」という歌詞があるが、自由を民族主義に収斂させることはできないからだ。

▼彼らの演奏は、やわな平和主義の活動ではない。親露政権は、そのことをよくわかっていたからこそ、彼らを「ピアノ過激派」と名づけて徹底的に弾圧したのである。