児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

生活の一端と民衆の考えを垣間見る:「クナシリ」

Vol.70 更新:2022年1月28日

▼何年か前に、野付半島というところからクナシリ島を見たことがある。といっても、望遠鏡を通して、島影を見たに過ぎないが。そのときは物見遊山で出かけたついでだったから、島にどのような人々が住み、どのような生活を送っているかにまで、想像をめぐらせたことはなかった。ところが今、映画「クナシリ」(ウラジーミル・コズロフ監督)によって、知られざる生活の一端と民衆の考えを垣間見ることができるようになった。

▼かつて日本人が暮らしていた場所から発掘された醤油瓶や茶碗、そして寺の遺構ともいうべき石垣について説明する男性がいる。また、第二次世界大戦直後に日本人の子どもと遊んでいたという老人は、勤勉で器用な日本人から技術を学んだ、しかし今は戦車とゴミ溜めがあるだけだと嘆く。さらに、安倍−プーチン会談を目前にして、民衆は日本との条約が締結され雇用が生まれることを望む、そうでなければ酒に溺れるか、島から去っていくしかないと述べる人がいる――。

▼ことさらに日本向けのメッセージを発信しようとしているわけでもなさそうだ。そんなことをしても、直接の利益が得られるわけではなく、むしろロシア政府当局から目をつけられるくらいが関の山だろうから。それにしても、このように語る人々の、子や孫はどこにいるのだろうか。そう思わせる映像になっている。

▼そうかと思えば、ロシア政府は家にトイレさえつくってくれないと話す農民の女性は、島が返還されたとしても日本人はここには住まない、漁業をする場所が欲しいだけだと吐き捨てるように言う。一方、第二次世界大戦の結果を変更する必要はなく、島を返還する理由も全くないと断言する経営者がいる。そして、日本人はロシアの武器が好きだからねと皮肉を語りながら、軍事博物館を建設するという場所を案内する男性は、島民が扮する旧ソ連軍が、同じく島民が扮する旧日本軍に対して、無条件降伏を求める映像を見せる――。

▼これらもまた、何割か以上の島民の本音なのだろう。彼らの生活上の利益は、今は日本政府にではなくロシア政府に対して望むしかないが、その望みの実現可能性は立場によりさまざまだ。そして、ここでも子どもを含む家族は軍事パレードの祭典の中に点描されるだけで、それ以外は、市街地であると郊外であるとを問わず、ただ荒涼たる風景が広がっている。

▼現在、平和条約締結に関する議論も、また浮上しては消える二島返還論も、国家間外交を前提にした冷戦政治の範囲を、未だに超えていない。しかし、たとえ絵空事のように見えようが、民族国家の枠の外に、住民が共同管理する島を構想していくことこそが、冷戦政治を超える唯一の隘路ではないか。そのときに初めて、ドキュメンタリーの画面に子どもや家族の動く姿が映ることになるだろう。その手前の時点で、旧ソ連生まれでフランス在住だという監督が次回作として予定しているとされる根室側を扱う映画に、民衆とその家族がどう映っているか、関心は尽きない。