児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

自閉スペクトラム症を有する活動家と家族:「グレタ」(+2021年ベスト5)

Vol.69 更新:2021年12月9日

▼私は、地球環境を守れというエコロジストの運動に与していないし、関心もない。それでも、「グレタ」(ネイサン・グロスマン監督)は、別の意味で興味深い、好感の持てるドキュメンタリー映画だった。自閉スペクトラム症(映画ではアスペルガー症候群)を有する当時15歳だった少女=グレタ・トゥーンベリは、授業で地球温暖化の(おそらくショッキングな)映像を見せられ、その恐怖を伴う記憶が頭から離れず、次々と関連資料をあたる。渉猟した資料は、彼女の頭の中に(おそらくフィルムに焼き付けられたかのように)残り蓄積される。(そして、おそらく頭の中では映像と資料が繰り返し再生される。)ここまでは、自閉スペクトラム症の特徴を前提にすれば、理解しやすい話だ。

▼しかし、その姿から活動家の姿までは、千里の径庭がある。なぜなら、政治活動であれ社会活動であれ、活動は不可避に集団を導き入れ、小から大までの集団内・集団間抗争を不可避とするが、自閉スペクトラム症を有する人々は、そのような下賤な集団を組むことからは、最も遠い人たちのはずだからだ。だから、この少女が、いかにして活動家集団と対峙するのか、それとも集団に飲み込まれて潰されてしまうのか。その点だけに関心があり、そこだけを知りたかった。

▼映画は私の疑問に答えてくれた。グレタは環境活動家からどれだけ祭り上げられても、まったく集団には馴染んでいなかった。それどころか逆に、集団の中では食事さえ喉をとおらず、父親に説得され別の場所でわずかな食べ物と水を口にできるだけだった。そして、それと並行するかのように、頭の中に焼きついた映像と資料に自分を同一化させ、ベジタリアン(ヴィ―ガン)の道を歩み、飛行機等を使わない生活を自分に課すようになる。こうなると、演説の草稿を書く時にさえ、母語ではない英語の文法やハイフンの有無にこだわりが生じ、苦しむ――。

▼それにしても、このようなグレタの苦しみに、彼女の父親は、よく寄り添っているものだと感心させられる。父親は環境主義者では全くないが、それなのに説教もせず、少しでも食べてくれとかフランス語など気にする必要はないといった、最低限の心配だけは口にするものの、ひたすら彼女と行動を共にしようとする。活動の中で、ごくたまにだが彼女が笑顔を見せるようになったことが嬉しいのだ。その点は母親も同じで、活動そのものはどうでもよく、ときおり他の人と食事ができる場合が出てきただけで、無上に喜んでいる。(もっとも、グレタが家庭を恋しがるのは、ルーチンのある生活へ戻りたいという理由からだけだが。)いい家族に恵まれている。そこが映画を観ている私などでさえをも嬉しくさせる。

▼閑話休題。以下に、恒例の座興として、2021年に私が見ることのできた映画のうち、ベスト5(この映評シリーズで取り上げたもの以外)を挙げる。「タイトル、拒絶」「無頼」「夏時間」「明日に向かって笑え!」「ONODA」(順不同)。