児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

陳腐になりかねない主題を見事にアレンジ:「湖底の空」

Vol.65 更新:2021年7月26日

▼父の事故死。それに巻き込まれた子の長期昏睡と周囲の葛藤。性別違和。そして母子家庭と養子縁組。ひとつひとつは、いまや陳腐になりかねない主題だ。(もちろん現実社会ではシリアスな主題に違いないが、それを映画に取り込むだけでは秀作になるわけがない。)否、みっつよっつ重なったとしても、通常なら、どうしたって陳腐さを免れないだろう。実際に、これらの主題を、したり顔でとりあげて、主題負けした失敗作(というよりも失敗以前の作品)も少なくないようだ。陳腐さを打ち破ることができるためには、感動物語とは反対の、諦念と紙一重のところで成立するような恋愛譚を、ひっそりと描くしかない。

▼「湖底の空」(佐藤智也監督)は、そういう恋愛譚の可能性を、陳腐になりかねない主題を見事にアレンジしてつなぐ中で、描くことに成功した作品だといってよい。空(そら)と海(かい)は、一卵性双生児の姉と弟だが、海は性分化疾患を有しており性自認は女性という設定になっている。(ここらあたりについての説明が映画の中に嵌めこまれているが、この説明に関しては、医学の専門家からだけではなく、さまざまな当事者からも疑問や異論が出るかもしれない。)

▼二人は日本人の父と韓国人の母とのあいだに生まれ、韓国の安東(アントン)で育った。長じて空(イ・テギョン)は、上海でイラストレーターとして働き、仕事を通じて日本人男性の望月(阿部力)と出会う。望月は空に惹かれ食事に誘うが、日本食の店に現れたのは性別適合手術を受けて女性になった(空想上の)海だった。結局、空は、ほんとうに絵の才能があるのは海だと言い残して安東へ帰り、望月は彼女の後を追いかけ安東へと向かう――。

▼男と女と性分化疾患、日本と韓国と中国。これら三者のあいだの葛藤というだけなら、二者間葛藤を三者に引き延ばしただけで、やはりどこまでいっても陳腐な主題の羅列に過ぎない。しかし、この作品では、陳腐な主題をアレンジし、つないでいる部分に味があり、秀作たるゆえんがあると思う。主題を何によってアレンジしつないでいるか、憶えている範囲で任意に取り出してみる。まず、合わせ鏡を見つめ、競泳用水着から乳房を出して触ったあと、再び水着で隠す冒頭の場面がある。そして、誰もいないプールで仰向けになって天井を見つめる場面が挟み込まれる。これらは一定の範囲で主題を昇華させた映像と言い換えてもいい。

▼また、「落ち武者」「国際スパイ」といった、クスッと笑いたくなる日本語が、意図的に使われている。ほとんど笑わない空だが、これらの日本語を伴った時だけは、わずかに笑顔がこぼれる。これらは、ラストシーン(といっても限りない高揚などはあるはずもないが)を予告する映像なのだろう。

▼蛇足だが、アグネス・チャンが先輩格の童話作家を演じている。空の絵を励ます役割だが、ここだけが教育的で感心しなかった。もっとも、実際の彼女も、こんな感じかもしれない。