児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

幼児期トラウマモデルを吹き飛ばす女優陣:「すばらしき世界」

Vol.62 更新:2021年4月14日

▼2021年4月8日毎日新聞夕刊のコラム「憂楽帳」は、「役所広司さん主演の話題作『すばらしき世界』を見ていて、映画に登場する弁護士夫妻にピンときた。庄司宏弁護士、ひろ子さん夫妻だ。」と記していた。「ピンと」こなかった私は、映画「すばらしき世界」(西川美和監督)を観終わった後、原案の佐木隆三の実録小説『身分帳』を捲ってみた。すると、同書には「行路病死人―小説『身分帳』補遺」という作品が収載されていて、そこには確かに故・庄司宏の名前が書かれていた。

▼救援連絡センターで有名だった庄司弁護士が、新左翼ではない刑法犯の身元引受人になっていたことを、私は寡聞にして知らなかった。ひょっとしたら獄中者組合のつながりだったのかもしれないが、よくわからない。いずれにせよ、殺人のため下獄していた旭川刑務所を満期で出所した三上(役所広司)は、処遇が不当であるとして収監中に起こした本人訴訟の過程で入手した自らの身分帳をテレビ局に送り、それを読んだ女性プロデューサーの吉澤は、制作会社を辞めて小説を書こうとしている津乃田を焚きつけて番組にしようと画策する。三上は、更生を目指すが、再逮捕こそされないものの、しばしば正義感ゆえの暴力行為を起こしかける。また、一時的には昔の兄弟分のいる九州へ赴く――。

▼ところで、生活保護を受給中の三上が、福祉事務所のケースワーカーに、携帯電話を持っていいかと尋ねるシーンが映画にはある。その箇所は、佐木の小説では固定電話になっているから、映画と小説とのあいだには時代設定上、かなりの開きがあることがわかる。この開きは、三上(小説では山川)の行動のモチーフに小さくない違いをもたらしている。すなわち、原案小説では、出所後に自らの「ルーツ」を探るために幼少時に入れられた孤児院(現在の児童養護施設)を訪ねるのに対して、映画では同じく施設を訪問する一方で、津乃田が三上に「あなたはお母さんが自分を〔施設に―引用者註〕迎えに来たとか、捨てたんじゃないとか、ずっと庇ってるけど、本当にそう思っていますか。」と電話で詰問する場面がある。三上は電話を切ってしまうが、その三上自身さえ、子供の養子縁組を報道するテレビを見て「この人たちは、その子供を売って捨てたわけでしょう。」と語っている。

▼要するに、一種の幼児期トラウマモデルとでも言うべきものが映画には描かれていて、そこが三上の暴力性の原因とされているということだ。このような解釈ないし説明は、時代設定を現代に移し替えているがゆえの必然であり、その意味で決して間違っていない。だが、私のひねくれた感想を言えば、幾分か映画を優等生的にしていると思う。

▼この映画には魅力的な女性たちが次々と登場する。悪役(?)だが上記吉澤役の長澤まさみ。庄司弁護士の妻役の梶芽衣子。そして、三上の元妻役の安田成美は、新しい夫との間に生まれた子をつれて「今度デートしようか」「なんか私、わくわくする」と話す。こういう「すばらしき」女優陣の演技を観ていると、私のひねくれた感想などは吹き飛んでしまう。