児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

日本版階級映画の傑作:「あのこは貴族」

Vol.61 更新:2021年3月16日

▼全国で最も住みやすい街といったランキングで、常に一位を争っているのは富山県だが、実際は必ずしもそうではないらしい。映画「あのこは貴族」(岨手由貴子監督)の冒頭あたりに置かれた帰省と同窓会のシーンによれば、「地元」の富山は停滞した街ということになる。(原作者の出身地が富山ということだから、たぶん実感として正しいのだろう。)

▼地元を離れ上京してみると、そこには外部から見ていかにも東京らしい風景とは別の、容易には覗きえない内部の上流社会がある。富山出身で慶應義塾大学へ入学した時岡美紀(水原希子)も、級友からお茶に誘われて参加してみると、五千円もするアフタヌーンティーだったといった体験から、美紀ら外部生と内部生との差、とりわけ幼稚舎からの進学組との差を知り驚く。結局、実家の経済的事情から美紀は中退し、キャバクラで働きつつ店のグレードを上げる。そこにかつて大学でノートを貸したことのある青木幸一郎(高良健吾)が客として訪れる。美紀は、幸一郎と身体を重ねるとともに、彼が顧問弁護士をつとめる会社で働くことになる。一方、上流階級で育った榛原華子(門脇麦)は、彼女よりもさらに「上の階級」の男性と見合いをして婚約するが、その相手が幸一郎だった――。

▼ストーリーだけをたどれば、あたかもイギリスの優れた階級映画を観ているかのようだ。しかし、本来なら幸一郎をめぐって対立するはずの美紀と華子は、はじめから階級の違いを超えて共感しあっているとさえ思える。美紀の暮す狭いアパートの部屋を訪れた華子は、「ここにいると落ち着く」と語る。狭いから落ち着くのではない、部屋にある物がすべて美紀自身の物だから落ち着くというのだ。その部屋で、美紀は華子に「みんな親の人生をトレースしてるだけ。そっちの世界と、うちの地元って似てるよね。」と笑いながら話しかける。こういう心の襞に触れる遣り取りは、やはりイギリス版とは少しだけ違った、日本版階級映画の特色と言っていい。

▼映画では、華子は幸一郎と離婚する前から「働いてみたい」と考え、離婚後は親友のバイオリニストのマネージャーになって小さな演奏会を続けている。一方、美紀も同級の女性とともに起業し活躍を始める。では、「そっちの世界」からの解放は、「うちの地元」から解放と同様に、ただ職業を通じた自己実現をはかることに尽きるのだろうか。その点が、最後に残された観客にとっての考えどころであろう。

▼ところで、若松組を追悼する映画で好演していた門脇麦は、NHK大河ドラマに続き、今回の作品では上流階級の箱入り娘として育てられた姿と、そこから激しくはない形で離脱する姿を、見事に演じていた。(といっても、もちろん私などは上流階級の人々と全く接点がないから、推測で見事と言っているに過ぎないが。)こういう役までこなせることを知るのは慶ばしい限りだが、大女優への道を歩み始めたようで、寂しい気がしないでもない。どうか、職業的な上昇志向からは逸脱した道筋を、多少でもいいから残しておいてほしい。