児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

瑞々しい中学生像:「滑走路」(+2020年ベスト5)

Vol.60 更新:2020年12月17日

▼短歌を原作とする映画といわれて、すぐ頭に浮かぶのは「田園に死す」だろう。あとは、にわかには思いつかない。歌人による小説を原作としていたり、小道具のように短歌を用いたりといった作品はあっても、歌集そのものに基づいた映画となると、おそらく少ないのではないか。

▼32歳で夭逝した歌人=萩原慎一郎が一つだけ遺した歌集『滑走路』が、同名で映画化された(大庭功睦監督)。中学2年の学級委員長隼介は、いじめられる裕翔を助けた結果、自らがいじめられる立場に陥った。そんな隼介に心を寄せる女子生徒が天野翠だった。しかし、翠は3年生にあがるとき、父の仕事のため転校した。長じて、最初にいじめられていた裕翔は厚労官僚になり、自殺問題を担当する。仕事で情報に接するうちに、隼介が派遣労働の果てに自死していたことを知る。一方、翠は切り絵作家として成功するが、夫とのあいだに微妙なズレが生じ離婚する――。

▼裕翔が診察を受ける場面などで変なシチュエーションが混じるものの、中学時代の翠を演じた木下渓が瑞々しい。2006年生まれというから、実際にまだ中学生なのだろう。いじめのためプールへ棄てられた隼介の鞄を、ずぶ濡れになって拾い出す。隼介とともに野原に横になって飛行機を見上げる。引っ越しのため乗せられた父の車から信号待ちのあいだに飛び降り、追いかけてきた隼介に抱きつく。こういう女子生徒がいたから、そのとき隼介は死なずにすんだ。そして、彼女の転校後も、彼女は記憶の中に生き続けたと思わせるエピソードだ。《いつまでも少女のままのきみがいて秋の記憶はこの胸にあり》(歌集『滑走路』)

▼だが、記憶は少しずつ遠ざかる。《思春期が次第に遠くなったきた 驟雨の中を駆け抜けてきた》それでも、記憶は完全に消え去るわけではない。《理解者はひとりかふたり でも理解者がいたことはしあわせだった》もっとも、現実の萩原慎一郎にとって、「理解者」は少女ではなく、女性教師だったのかもしれない。歌集の「あとがき」には、「高校時代の恩師である朝倉恭子先生」への謝辞が記されている。萩原は中高一貫校でのいじめを高校2年まで親に隠していたらしいから、歌作関係以外の支えは、両親を別にすれば、この女性教師だけだったのかもしれない。

▼最後に、映画と直接関連する短歌を以下に何首か抜き出しておく。《いろいろと書いてあるのだ 看護師のあなたの腕はメモ帳なのだ》《空だって泣きたいときもあるだろう葡萄のような大粒の雨》《非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている》

▼2020年は、新型コロナ状況のせいか、私の出かけた劇場や時間帯では観客数が少なく、10人を切ることもしばしばだった。そんな中だが、恒例の座興として、この映評シリーズで取り上げなかった映画のうち、今年のベスト5を記す。「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」「はちどり」「蒲田前奏曲」「本気のしるし」「ミッドナインティーズ」(順不同)。