児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

最大公約数の青春:「アルプススタンドのはしの方」

Vol.57 更新:2020年9月12日

▼話題作「アルプススタンドのはしの方」(城定秀夫監督)は、文字通りの王道青春映画だ。そう言ってしまうと多少の語弊が生じるかもしれないが、青春という言葉で多くの人が思い浮かべるイメージの、最大公約数が描かれていることには間違いがない。しかも、私のようなひねくれ者も含め、たいていの観客が満足感をおぼえて帰途につく作品であることも、確かだと思える。

▼舞台は甲子園球場なのだが、選手も映らなければバットもグラウンドも映らない。映るのはアルプススタンドの応援席と、その応援席からさえも離れた場所に座る高校生たちだけだ。(類似のアイデアの作品で私が知っているのは、桃井かおりの出ていた、怪獣映画でありながら怪獣そのものが登場しない映画くらいだ。)

▼しかも、演劇部の「やすは」(小野莉奈)と「ひかる」(西本まりん)は、野球のルールさえ知らない。そこへ元野球部員の「藤野」(平井亜門)が遅刻して現れる。成績が一番から二番に下がったメガネの女子高生「宮下」(中村守里)も加わる。女子高生たちは、名前しか登場しない「園田君」に憧れる。野球に挫折した藤野は、才能のある園田に嫉妬しつつ、才能のない「矢野」(やはり姿さえ映らない)には優越感を抱いている。園田は強豪校相手に粘投し、矢野は代打で見事バントを決める。ここから「しょうがない」と冷めていたアルプススタンド端の高校生たちは、俄然、熱を帯びて応援しはじめる。

▼数年後、野球場で4人は一緒になる。大学でも野球の練習に打ち込み、プロの選手になった矢野が、出場する試合だ。一方、園田は名古屋の一流企業で社会人野球のエースになっているという。(ここでも、矢野や園田の姿は映らない。)藤野は小さなスポーツ用品会社に勤め、宮下と付き合っている――。

▼挫折だと思いこんでいた青春期の体験が、苦笑すべき思い出にかわる。思い出にかわった体験は、語ってしまえば平凡極まりないかもしれないが、それでも珠玉のものに感じられて人知れず温めておきたくなる。青春の最大公約数が描かれているとは、そういう意味だ。

▼この作品の原型は、高校生の演劇大会だったという。あてずっぽうで言えば、才覚ある元演劇青年が高校演劇部の顧問になって新作を書き下ろすとき、それが正式な部活動の大会で上演されることを前提とするものである限りは、一定の制約があるのではないか。その制約の中で書かれた脚本を演じた本物の高校生たちは、何にも代えがたい経験を得たはずだ。

▼その後、プロ集団の演劇を経て、ピンク映画の鬼才による映画化という順序で生まれたのが、この作品だという。(もっとも、女子高生宮下のメガネを別にすれば、この監督らしい小道具は何も登場しない。どこの高校で上映したとしても、生活指導教師から文句を言われることはないと思う。)手練れの監督の手で、何の衒いもなく映画化されたものである以上、青春の最大公約数からの支持は、すでに約束されていたというべきだろう。