自虐ネタを超えた見応え:「さよならテレビ」
Vol.53 更新:2020年2月3日
▼私の先入観のみに基づく理解によれば、新聞の場合はすべての記事を正規社員が取材して書くが、週刊誌の場合は主に非正規社員が取材・執筆した記事を正規社員が取捨選択する。もっとも、これが全紙・誌に共通する正しい理解なのか、あるいは全くの思い込みゆえの誤解なのかについては、よくわからない。それでも、この差異が、新聞報道の過剰な慎重さと週刊誌の過剰な大胆さとの違いをもたらしているのではないかと、私は勝手に思ってきた。
▼では、テレビはどうか。慎重さの指数と大胆さの指数から逆算すると、ニュース報道は正社員が、バラエティ番組は非正規社員(ないし下請け制作会社)が担っているのでないかと、やはり勝手に想像してきた。いま、自社(東海テレビ)を取材対象にしたドキュメンタリー映画「さよならテレビ」(土方宏史=土はヽが付く=監督)を観ると、看板番組であっても、正社員・ベテラン契約社員・単年契約の派遣社員が混在してつくっていることがわかる。
▼「みんなのニュースOne」の福島アナは、電車の胴体広告の「行け、福島。」というポスターが印象に残るが、自他ともに認める慎重派で、いつも悩んでいる。業界紙出身の澤村記者は、本多勝一らにあこがれ、メディア文庫と名づけた本棚に書籍を並べる硬派だが、Zネタ(是非ネタ=スポンサーが是非にと要求するネタ)を入れることに抵抗はないとうそぶく。派遣社員の渡邊は、花見などのネタを持前の笑顔で取材するが、取材対象への同意確認を徹底しなかったため自らの企画が放映されず、契約も更新されなくなる――。
▼劇映画と紛らわしいほどの展開で、いかにも東海テレビらしいが、最も笑いを誘うのは視聴率の数字の上に「4位」と記された手書きのカードが重ねられるシーンだ。「4位」とは、名古屋の4つのテレビ局の中で最下位という意味だから、社員たちは真剣でも、観客はどうしても笑ってしまう。というよりも、笑いを計算に入れた、いわば自虐ネタとして撮影しているのだろう。
▼視聴率とは、視聴者の関心度の最大公約数と相関する数値だと考えてよい。たとえば、かつてのように歌番組(ザ・ベストテンなど)が成立していた1980年代までであれば、最大公約数を比較的高く想定することが可能だった。しかし、それが成立しなくなった1990年あたりから、最大公約数もまた低下の一途をたどりはじめた。だから、昔、サイデンステッカーが言っていたという「どのチャンネルも巨人ばっかり。料理ばっかり。クイズばっかり。」(2020年1月30日「毎日」夕刊)という指摘も、少なくとも「巨人」に関しては、今は成り立たなくなっている。
▼だから、もはや最大公約数ではなく、最小公倍数を目安にして、その数値を高くも低くもないあたりに設定する以外に、テレビの復活は見通せないのではないか。そう考えてくると、「死刑弁護人」や「人生フルーツ」などのドキュメンタリーを制作してきた、このテレビ局の意義は、むしろ映画のほうに存在しているのかもしれないとさえ思える。