児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

秀逸なB級自主映画:「スモーキング・エイリアンズ」

Vol.46 更新:2019年4月9日

▼よく考えてみると、「スモーキング・エイリアンズ」(中村公彦監督)とは、なかなか怖いタイトルだ。煙草の副流煙に弱いエイリアンと喫煙者たちとの闘いだから、単純にタイトルをつければ、「スモーカーvs.エイリアン」でよかったはずだ。なのに、「スモーキング・エイリアンズ」とつけられている。直訳すれば「喫煙するエイリアンたち」になり、ただちには意味が掴めない。この映画で流星に付着して地球へやってきた侵略生物であるエイリアンは、副流煙によってでさえ死滅するのだから、そもそも彼ら(?)が喫煙するわけがないからだ。

▼だとすれば、タイトルの「エイリアンズ」とは、地球へやってきた侵略生物を指すのではなく、地球人の中の喫煙者たちを指していることになる。換言するなら、喫煙者たちが、もはや人類としては扱われず、エイリアンとして排除されるしかなくなった時代を、描いているということだ。そして、その時代とは、まさに現代にほかならない。このような排除を怖いと感じない人がいれば、その人は、喫煙者であると非喫煙者であるとを問わず、感性が摩耗しているのだ。

▼そういう怖さに満ちたタイトルでありながら、映画の中味は痛快活劇といった趣に満ちている。その一方で、すぐれた社会批判も、随所に織り込まれている。

▼花沢香(倖田李梨)は、シングルマザーで、ビル清掃の仕事に従事している。しかし、職場は、副社長の方針により、2つあった喫煙室の1つがなくなり、トレーニングルームに改装されてしまった。同時に、煙草料金の引き上げや禁煙条例により、中層‐下層労働に従事する喫煙者たちの空間は、狭められる一方だ。そこへ、宇宙から金属球が飛来し、それに付着していた侵略生物(土肥良成による特殊造形)は、人間の口から体内へ入り込んで寄生してしまう。寄生されなかった喫煙者たちは、煙草を武器に団結して侵略生物と闘う――。

▼会社の宴会の参加費5000円を高いと感じるか感じないかといった階層間差異はあっても、侵略生物を前にして(というよりも自分たちがエイリアンとして排除されている現実を共有して)連帯する喫煙者たち。わずか300円の主任手当ながら、「俺が責任者なんだよ!」と叫びながら侵略生物に突撃していく、名ばかり主任。そして、煙草アレルギーに苦しむがゆえに「足手まといですみません」と謝りつつ、意を決して喫煙者たちと共に闘う食堂従業員の女性がいる。つまり、社会批判が散りばめられている。

▼上映終了後のトークイベントを聞いていると、中村監督の口からは、本多猪四郎・円谷英二による伝説の特撮ホラー映画「マタンゴ」への言及が、二度にわたってなされていた。「マタンゴ」が成長期日本社会への批判であるなら、「スモーキング・エイリアンズ」は停滞期日本社会への批判を含んでいると思う。監督は否定するだろうが、秀逸なB級映画は、必然的に社会批判を含むように計算されている。