児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

想定内の面白さ:「プーと大人になった僕」

Vol.41 更新:2018年10月19日

▼ディズニー映画の特徴とは何かと尋ねられたなら、すべてが想定内に収まるという約束事のもとにつくられた、めいっぱいのエンターテインメント性と答えるのが、もっとも正確なように思う。もう一つ、つけくわえることもできる。お望みなら、作品から何らかの教訓を導き出してもかまわない、という原則だ。もちろん、導か出さなくてもいっこうに差し支えはないが、導き出したいなら、おおむね過半数の人びとが肯定しうるはずの教訓になっているから、安心して導き出してください、という仕組みになっている。

▼「プーと大人になった僕」(マーク・フォースター監督)も、例外ではない。というよりも、ディズニー映画たる条件を、過不足なく備えているといいうる。別に皮肉を述べているわけではない。ありのままを言っているだけだし、作品は誰が観ても十分に楽しめる。

▼百エーカーの森を出て、寄宿舎学校へ入ったクリストファー・ロビン(ユアン・マクレガー)は、第二次世界大戦後、ロンドンの旅行鞄会社で、コスト・カットの業務を担わされていた。仕事に翻弄されている彼は、妻や娘を顧みる余裕がない。そこへ、なぜか、ぬいぐるみのプーが現れる。クリストファー・ロビンは、プーを百エーカーの森へ連れて帰る――。

▼この作品の中でキーワードとして取り上げられているのは、何もしないことをする(doing nothing)だ。私は、この映画が公開されるよりもかなり前に、大阪のEPOという団体が主催したシンポジウムで村瀬学らと同席したことがあるが、そこで村瀬はこの言葉をとりあげていた。私の記憶の中で変形されているかもしれないが、自然な存在を捨てて学校へ上がることが、どれほど切ないのかを、指摘する内容だったと思う。また、「プー」の原作者であるA・A・ミルンが、「パンチ」誌を舞台に、批評精神に満ちたエッセーを発表するライターだったことにも、注意を喚起していたと記憶している。

▼原作者ミルンを扱った映画がある。「グッバイ・クリストファー・ロビン」という作品だ。(おそらく日本での劇場公開は、なかったのではないか。私はDVDで観た。)その映画によると、第一次世界大戦で心的外傷後ストレス障害に罹患したミルンは、苦しんだ末に田舎のサセックスへ引っ越した。しかし、それが不満だった妻のダフネは、ロンドンへ戻ってしまう。ミルンは、子ども(クリストファー)を育てながら、「プー」の物語を執筆する――。

▼つまり、「プーと大人になった僕」と「グッバイ・クリストファー・ロビン」は、互いに真逆の時間や空間をたどりながら、結果的には合わせ鏡のようになった作品だと言える。こういう視点からは、「プーと大人になった僕」が、労働者に有給休暇を与え旅行鞄への消費意欲を高めるという、過半数の支持がえられそうな結論へと至るのは、妥当とはいえ、物足りない感じがする。