児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

かわらない20余年:「T2トレインスポッティング」

Vol.31 更新:2017年5月25日

▼メガ・ヒットを記録した映画から続編がつくられるとき、何年間くらいが経過している場合が多いのか、よく知らない。それでも、20年間以上というのは、たぶん長いほうに属するだろう。しかも、20余年が、絶妙の間隔だったと思わせる作品となると、にわかには思いつかない。

▼1996年を熱狂で包んだ作品が、いま「T2トレインスポッティング」(ダニー・ボイル監督)となって、眼の前に戻ってきた。前作「トレインスポッティング」は、そのスコットランド訛が、英語のネイティブ・スピーカーにさえ聞き取り困難だったため、アメリカにおける上映では一部に字幕が付されたという。その前作で、エジンバラからロンドンへ出てきたレントン(ユアン・マクレガー)ら4人は、麻薬をさばき1万6千ポンドを手にした。しかし、レントンは、その4分の1だけをジャンキーのスパッド(ユエン・ブレムナー)のためにロッカーに残し、残りをすべて持って逃げた――。

▼前作では、カメラが切り取るレントンたちの行動速度が、場面展開の速度と、ぴったり一致していた。その点は、続編でも、まったくかわらない。つまり、20余年後の姿を描いているからといって、行動と場面展開の速度を、いささかも落としていないところが、続編の最大の特徴だと言ってよい。

▼もちろん、時間の経過自体は、随所に挟みこまれている。たとえば、レントンが逃亡先からエジンバラへ帰ったシーンでは、空港でツーリズム・ガールがリーフレットを手渡しながら、「エジンバラへようこそ」と、東欧のアクセントで出迎える。レントンが、彼女に対して出身地を尋ねると、彼女はスロバニアだと答える。このあたりにも、明らかな年月の経過が感じられるしくみになっている。あるいは、前作でレントンが心惹かれたときには16歳かそこらの少女だったダイアンは、続編では弁護士になっている。

▼そればかりではない。レントン自身にしても、心臓にステントを入れる手術を受けている。それでも変わらないものがあるとすれば、それは何か。はなから長期展望を持ちようがないがゆえに、小刻みに人生を構成するしかない人間たちの、心臓の律動がかわらないのだ。その律動に同期したとき、観客もまた、自分の中にどこか変わらない部分を見いだし、一瞬だけ、ノスタルジックな気分に浸る。

▼なお、前作で有名になった「イギリスで最も汚いトイレ」は、当然、続編でも登場する。個人的には、前作でレントンらがテレビ観戦していたロンドン郊外の小競馬場(ケンプトン・パーク)のシーンも反復してほしかったが、そのシーンはなかった。おそらく、4千ポンドをドラッグに費消したのち、自らの体験を書きしるしはじめた、愛すべきスパッドの文章には、それも含まれることだろう。