児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

ブラックコメディを超えたシリアス:「帰ってきたヒトラー」

Vol.25 更新:2016年10月4日

▼ヒトラーもの、あるいはナチスもの、とでもいいうるジャンルの映画は、玉石取り混ぜて最近まで、少なくない数がつくられている。そのなかで、「帰ってきたヒトラー」(デヴィッド・ヴェンド監督)は、かなり良質の部類に属するのではないか。ブラックコメディという以上に、現在の世界に対する優れた風刺になっているからだ。それも、とおりいっぺんの風刺ではない。

▼映画は、アドルフ・ヒトラー(オリヴァー・マスッチ)が、現代のベルリンでよみがえるところから始まる。そして、テレビではヒトラーの物まねをするコメディアンとして扱われ、人気を博する。だが、元来は犬好きなヒトラーは、噛みつく犬を叩き殺してしまい、一時的に人気を失う。現在のドイツでは、犬への虐待は人間への虐待以上の非難を浴びる事態だからだ。このあたりは、動物実験に反対し続けたといわれるヒトラー由来の伝統が、現代のドイツ社会にまで連続しているという皮肉になっている。

▼ところで、現代によみがえったヒトラーが、いまのドイツの政党のうち認めても良いと評価するものは、緑の党だ。原発反対以外は、ナチスの価値観と一致する。そう話すシーンが、2度にわたって登場する。もともとナチスには、環境ファシズムとでもいうべき主張が、太い柱として存在していた。そういう世界観との相似形を、環境主義政党で権力志向の強い緑の党の中に見出している。

▼反対に、ヒトラーが決してナチスの後継にしたくないと考える勢力は、ヒトラー思想に近い極右政党とされている、ドイツ国家民主党(NPD)だ。口先だけで大衆の心に届かない言葉の垂れ流しを、ヒトラーは簡単に見抜く。自分が書いた(口述した)『わが闘争』を、ちゃんと読んでいないのではないかというのだ。(ちなみに、この党の副党首として登場するのは、実際のNPD幹部だという。)

▼上記のNPDをめぐるシーンは、いわゆるセミ・ドキュメンタリーの手法を用いて撮られている。ほかにも映画は、市井の老若男女をインタヴューするという形で、おなじくセミ・ドキュメンタリーを採用している。このあたりは面白いものの、とりたてて目新しい発言がみられるわけではない。ヒトラーのそっくりさんだと思い込んだうえで、それでもなお定型化したナチスへの批判と憎悪で応じる人もいれば、ジョークで応じる人たちもいる。アフリカから人々が流入してくると知能指数が下がるといった、ナチズムに迎合する意見を述べる人もいる。そして、およそ体力が追いつかない右翼志向の若者がいる。

▼戦後ドイツの教育で連綿と展開されているはずの、反ナチス教育が奏功していないということなのだろうか。ひょっとしたら、テレビ局の女性局長(カッチャ・リーマン)が呟く、「子どもたちは聞き飽きた」というあたりが本当に近いのかもしれない。自分の頭で考えなければ、すぐそこにコメディを超えたシリアスな状況が待ち受けているということだ。