すがすがしいまでの直球勝負:「ビハインド・ザ・コーヴ」
Vol.20 更新:2016年4月22日
▼かつて「ザ・コーヴ」という、いかにも質の悪い映画があった。私は、その映画を批判して、次のように述べたことがある(『精神現象を読み解くための10章』批評社)。監督のシホヨスは、自らがベジタリアン(ペスカタリアン)だという個人的信条(あるいは心情)を普遍化することが正義であるかのように錯覚した。同様に、過去にイルカの調教師だったオーバリーは、テレビ番組「わんぱくフリッパー」のために調教したイルカが撮影によるストレスで死亡したという個人的体験を、イルカ保護の宗教運動にまで飛躍させた。オーバリーらの単純な理論は、知能の高い生物を殺すなということだから、容易に知的障害者の抹殺につながる。
▼「ビハインド・ザ・コーヴ」の監督(八木景子)もまた、鯨の竜田揚げが好きだという個人的体験から、このドキュメンタリーを撮ることになったという。しかし、彼女がシホヨスやオーバリーらと異なるのは、大地町の漁民の生活の空間と時間そのものを撮影したところにある。そうすることによって、彼女の作品は、かつての「ザ・コーヴ」に直球勝負を挑むことになった。その結果は、彼女の完全勝利だった。
▼「ビハインド・ザ・コーヴ」は、反捕鯨団体が獲得する巨額の寄付金が、彼らの活動を単純再生産する模様を描写する。そして、かつての「ザ・コーヴ」の隠し撮りが、単に卑怯な方法であったというよりも、わざと隠し撮りを採用することによるセンセーションを狙った手法だということが明らかになる。また、捕鯨文化の歴史や工芸に言及する一方で、白人至上主義への批判も織り込まれる。さらに、日本の外務省が何の役にも立っていないことも、忘れずに指摘している。最終的には、反捕鯨運動がヴェトナム戦争の害悪から眼をそらすために用いられ、そうであるがゆえに同じ捕鯨国であるノルウェーではなく、真珠湾を攻撃し南太平洋を侵略した日本が標的にされる様子が、容赦ないまでに暴き出される。
▼反捕鯨団体は、巨額の寄付金で自転車操業をしているが、彼らを操る国際機関も、その点では同根だ。そのひそみにならって私も述べるなら、事実の捏造で民衆を騙そうとすることは、地球温暖化データの差し替えが報道されたクライメートゲート事件に示されるように、エコロジストの常套手段だ。ついでにいえば、反捕鯨団体の主張する水銀汚染キャンペーンと同様の健康ファシズムは、いつも現実の戦争とセットになっている。だが、これらを明るみに出すことは、常に容易ではない。
▼そこに真っ向勝負を挑んだ女性監督がいるという事実が、この映画を観た一人ひとりを、どれほど勇気づけるか、はかりしれないものがあると思う。それにしても、日本へ観光に訪れているアメリカ人学生のまっとうな意見と、民衆を殺戮する戦争にアメリカ国内で反対している男性のインタヴューシーンを見ると、国は病んでいてもアメリカの民衆はそうでもないということがわかり、少しだけ安心させられる。