児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

見逃せば後悔する映画がある:「恋人たち」

Vol.17 更新:2015年12月14日

▼この作家のものなら、出ると同時に買いたいと思わせる本があるのと同様に、この監督の作品なら、無条件に観にいきたいと思わせる映画がある。そういう映画の代表として「恋人たち」(橋口亮輔監督)をあげる人は、おそらく少なくないと思う。私も、その一人だ。監督自身が選んだ新人俳優を起用し、脚本も自ら書いているという前宣伝だったから、なおさらだ。

▼ストーリーは、主に三組の恋人たちによって展開される。なかでも秀逸なのは、プリンセス雅子の追っかけビデオを見る笑顔の主婦=瞳子で、夫の合図によりコンドームの自動販売機へと向かうが、別の日には鶏肉屋に騙され家を出ようとする。しかし、騙す鶏肉屋も騙される主婦も、どちらも憎めないキャラクターで、結局はそれぞれが元の鞘におさまる。ついでにいえば、鶏肉屋は愛人と始めた「美女水」という詐欺商法が失敗すると、今度は皇室詐欺を企む。つまり、主婦の皇室追っかけが鶏肉屋にも影響を与えているのだ。

▼もう一組は、同性愛の経済弁護士=四ノ宮で、学生時代から同性愛感情を持っている相手=聡に小児性愛だと誤解され、その誤解を解こうと必死に電話を入れる。弁護士としては金にならない仕事はなおざりなのに、聡への電話は健気といってもいいほどだ。このあたりの描写は、やはり手馴れたものというしかない。

▼残る一組は橋梁点検会社に勤めるアツシで、彼の妻は無差別殺人で命を失ったという設定だ。アツシは、妻を殺した男を相手取った裁判を起こすため、四ノ宮を紹介されるが、四ノ宮は金にならない裁判にははなから興味がない。アツシの演技は、いかにも腕のいい橋梁点検屋の若者という感じがでているし、何よりも川面に光が反射する映像が印象的なのだが、無差別殺人の被害者遺族で、犯人が措置入院(医療観察法の前の時代なのか)になって、辛さから覚せい剤に手を出そうとして・・・といった展開は、いかにもありがちで、正直に言えば不満が残った。

▼それでも、アツシの職場の先輩=黒田は、弁当を持ってアツシの部屋を訪ね、静かに話を聴く。そして、犯人を殺したいというアツシに、ゆっくりと「殺しちゃうと、こうやって話せなくなるじゃん、俺はあなたともっと話したいよ」と語る。このシーンは、やや図式的だが、上記の私の不満を補っている。さらに私の勝手な不満を補って、余りあるシーンがある。片腕のない黒田に対し、アツシが、腕はどうしたのかと尋ねる箇所だ。

▼黒田は、「昔、左翼やってたんだよ、ついていってただけだけどな、それで皇居をロケット砲でぶっとばそうとして、腕をぶっとばしちゃった」と笑う。つられてアツシも笑う。ここでも皇室ネタが、笑いとともに登場していることになる。つまり、雅子さま―皇室詐欺―皇居攻撃というラインが、この映画の伏線になっていて、それに先述した川面の光がクロスし、作品を統一しているのだろう。