児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

映像絵画:「FOUJITA」

Vol.16 更新:2015年11月20日

▼東京国立近代美術館で開催中の「藤田嗣治、全所蔵作品展示。」をみた。藤田の戦争画14点を全て展示していると聞いたからだ。これは初の試みらしい。それらのうち、「南昌飛行場の焼討」という作品は、「その日の指揮官松本少佐井上大尉を始め、海の荒鷲の勇士小川中尉、桑島二空曹、小野二空曹・・〔中略〕・・に面接の光栄を得て、その空爆、焼討ちの顛末、始終を委細に聞いてノートにとどめ」(『腕(ブラ)一本/巴里の横顔』講談社文芸文庫)と藤田自身が書いているように、実際に画家がみた情景ではない。

▼他の作品も同じだ。「敵の姿も見えぬ様な近代戦は容易に画にも成し難い事を説明する。ただし戦争画についての自信だけは今日充分身についてきた様だ。戦線に居る兵隊さんの顔の色も分った。真剣な表情ものみ込めた。」(前掲書)――こうして、藤田は、「南昌飛行場の焼討」や「武漢進撃」を描いた。

▼ところで、この「南昌飛行場の焼討」や「武漢進撃」あたりでさえ、あまり勇ましい絵とはいえないのだが、「シンガポール最後の日」や有名な「アッツ島玉砕」になると、およそ戦意高揚とは程遠い作品群だ。戦場を描いているから戦争画で、戦争画だから画家の戦争責任を追及すればいいといった筋書きでは、ほんとうのところは何もわからない。

▼従軍画家になる以前に、藤田は、ディエゴ・リベラと交流している。そして、メキシコの監獄と「狂病院」を訪問し、壁画運動に触れて「大衆のための奉仕も考えなければならない」(前掲書)と記している。一方で、藤田は、「現代日本子供篇」という短編映画で田舎の児童を撮影しているが、これは日本社会の後進性を侮蔑したと解釈されて当局からクレームがつけられたという(前記展示でみることができた)。

▼これら二つの事実が、鍵を握っているのではないか。若くして花の巴里へ旅立った藤田にとって、当時の後進国である日本やメキシコは、未知の社会だった。ナチスドイツによる空襲のために巴里を離れざるをえなかった藤田は、驚きをもってながめた後進国日本の少年を映像におさめたのと同様に、日本の民衆を画布にとどめたかった。ただ、民衆である「兵隊さんの顔の色」は、彼の頭脳の中にとどめられただけだったから、圧倒的な技量で描く絵画は、必然的に暗い色調で塗りこめられた群像にならざるをえなかった。

▼映画「FOUJITA」(小栗康平監督)は、前半で「五人の裸婦」など巴里時代の作品を、後半で「サイパン島同胞臣節を全うす」などの戦争画をとりあげている。いずれも前記展示でみることができる作品だ。だが、それらの絵画作品を映像にしたというよりは、いわば小栗監督独自の映像絵画として別個に撮影された作品といったほうがいい。

▼藤田の頭脳のなかにとどめられただけの日本社会は、映画では彼の肉体をとりまく現実へと位相がずらされ、作品「サイパン島・・・」は、映画では水に沈められることにより、自然へ還元されることになった。独自の映像絵画とは、そういう意味だ。