児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

予想外の佳作:「ロマンス」

Vol.14 更新:2015年9月14日

▼日本子どもソーシャルワーク協会の事務所は小田急沿線にあるから、関係者はきっと、事務所への行き帰りに特急「ロマンスカー」の車体を、眺めているにちがいない。そういう私も、ロマンスカーに乗車したいからというだけの理由で、名古屋から新宿へ行くのに、わざわざ小田原で、特急指定席券を買って乗り換えたことがある。

▼そのロマンスカーが、ずばり「ロマンス」(タナダユキ監督)という題名の映画になった。主演が大島優子、箱根付近の観光地の景色が満載・・・という前評判だったから、(監督の名前を別にすれば)まあ期待しないでという心構えで観にいった。なのに、実際に観てみると、なぜか退屈しない。予想外の佳作という感じだった。

▼そこで、何がこの映画を佳作にまで高めているのかと考えてみても、よくわからない。やや無理のあるストーリー展開だし、しかも、大島や相手役の大倉孝二の口ずさむ歌は、小田急ではなく、旧国鉄の「いい日旅立ち」だ。よくこれで小田急がOKしたものだなあと思いつつ振り返ってみると、小田急の駅員役たちの台詞が皆、極めてのんびりしていたことに気づかされる。

▼大倉(が演じる映画プロデューサーの「おっさん」)が、万引きでつかまったあとの駅員の台詞も、まあ後からであれ代金を払ってもらったことだし穏便に、という雰囲気だった。大島(が演じるロマンスカー・アテンダントの「鉢子」)が、結果的に無断欠勤してしまったあとの管理職の台詞も、「報連相」を柔らかに強調するだけで、「馘にはしませんよ」というものだった。本物の小田急の社風も、このようにのんびりしているのかもしれないと思ってしまう。その通りでなくても、まあそれに近いのではないか。

▼だが、考えてみると、大島=鉢子の無断欠勤期間は、たった一日だ。製作した映画がコケて借金まみれの大倉=おっさんが、現実から逃避する期間も、同じく一日だけだ。あくる日には、鉢子を再び受け入れてくれる一流会社がある。おっさんが映画制作会社にまだ籍があるのかどうかはわからないが、どっちにしても破滅にまでは至りそうもない。戻っていく日常と、たった一日の非日常とのあいだに、それほど距離があるわけではない。けれど、わずか一日であっても非日常があることで、人々は日常を生きようと決意することができる。そのあたりを過不足なく描ききっている点が、この映画を佳作にしているのではないか。

▼閑話休題。いまだに「ロマンス」という大正風のネーミングを使い続けているのは、やや大袈裟に言えば、小田急の見識だと思う。もちろん、昔の映画のようなロマンスが、現代社会で起こる確率は限りなく低い。映画「ロマンス」でも、鉢子とおっさんとのあいだに、ロマンスが生じているわけではない。だが、ロマンスという古い響きの言葉は、ささやかな非日常の代名詞にはなっている。もし、この会社が、本当にのんびりとした一流企業であるなら、社風を変えないまま滅びずにいてほしいと思う。