手放せなかったのは富よりも上昇志向:「億万長者の不都合な終末」
Vol.119 更新:2026年7月27日
▼何の事前情報もないまま、日本語タイトルの響きのみを手がかりに観たなら、いい意味で裏切られるだろう。「億万長者の不都合な終末」というコメディ風の邦題がついた、ガルデル・ガステル=ウルティア監督の映画は、原題をRich Flu(リッチ・インフルエンザ)といい、初めからスピーディな場面展開と切り替えによって観客の目をずっと画面に釘付けにしたあと、中盤過ぎからテンポを落として情景に浸らせる。
▼ローラ(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)は、動画配信プロデューサーだ。第1章「The Old World」では、カンヌで挨拶をしてインタビューに応じることになっていたところを外されるも、代わりにインタビューに応じるライバルに虚偽情報を提供して恥をかかせてから、社長の待つアラスカへと向かう。そこでバッキンガム宮殿でのチャリティ・オークションへ行くよう命じられるが、世界では富裕層のみが感染するRich Fluが猛威を振るいはじめていた。
▼200万ポンドで「メデューズ号の筏」のレプリカを落札したローラは、第2章「Collapse」において、社長から大量の株式を譲られ富裕層になったため保護対象にされてしまう。彼女は、夫と娘が母とともに暮らすバルセロナのコミューンへ飛ぶに際し、秘書の男性に資産を譲渡しようとしたが、秘書からは拒否される。バルセロナのコミューンに受け入れられなかったローラは、第3章「Exodus」において、一家で小舟に乗りタンザニアを目指すが、リビアの国境警備隊により難民キャンプへ収容される。そこから逃れたローラたちは、財産を引き受けた夫の感染死がありながらも、カメルーンにある前資本主義様式の村へたどり着く。その場所が、彼女たちの終章「The New World」だった――。
▼このようなストーリー展開の中に、観客の注意を惹きつける、いくつものエピソードがちりばめられている。旧い世界の富裕層にとって、環境問題への慈善的投資とは偽善的投資にほかならないこと。かつてEUへ向かったアフリカ難民の悲劇は、Rich Fluパンデミック以降は180度ひっくり返って、メデューズ号の筏に擬されるようなアフリカを目指すEU難民の悲劇になっていること。前資本主義社会の村での物々交換とは、1対1での交換ではなく、共同体による共同管理と分配によって成りたっていることなどだ。
▼とりわけ、ローラの腕時計に関するエピソードは、象徴的で興味深い。バルセロナの住民たちの記憶にあるローラの腕時計は、彼女がウェイトレスの仕事により初めて得た給料で買ったレプリカウォッチだった。その安物の時計を、上昇志向の末に富裕層の入り口に立っていた彼女が、今も身につけていたのだ。(だからこそ彼女はRich Fluの感染から免れたのかもしれないのだが。)その時計を、彼女はアフリカの村でいったん共有財の籠へ入れた後、再び交換により取り戻そうとする。結局、彼女が手放せなかったのは富よりも上昇志向であり、レプリカウォッチはその出発点だったのかもしれない。




