ローカル・ロードムービーの面白さ:「いろは」
Vol.118 更新:2026年6月29日
▼ロードムービーの基本骨格は、もちろん車やオートバイ等を使った長距離移動だ。だが、かつての三木聡監督による「転々」のように、ウォーキング・ロードムービーとでもいうべきか、徒歩による東京散歩のような作品もある。また、本作「いろは」(横尾初喜監督)のように、車を使ってはいるものの、佐世保を起点とした長崎県内での移動に限られる、ローカルなロードムービーもある。そして、この映画を見ると、ロードムービーの面白さは、乗り物や距離そのものにではなく、ちょうど音楽の場合の変奏曲と同様に、作品内におけるエピソードが、バリエーションを伴って反復される点にあることがわかる。
▼次女の伊呂波(川島鈴遥)は、佐世保の小さな店を営む実家で、両親と同居しながら暮らしている。そこへ、勝手に家を離れていた姉の花蓮(森田想)が突然戻ってきた。花蓮は妊娠していて、相手の男性に会うために、なぜか伊呂波を一緒に車で連れ出す。ところが、お腹の中の子どもの父親である可能性を持った男は、一人だけではなく三人だった。一人目は鼻持ちならない金持ちの御曹司、二人目は説教好きのバツ2のおじさん、そして三人目は借金取りに追いまわされる不甲斐ない学生だ――。
▼三人ともが典型的なダメ男として描かれていて、花蓮と伊呂波は「あのサークル自体の人間の底が浅い」「自慢と愚痴と説教ばかり」「あんたみたいなの大っきらい」といった言葉を、それぞれの人物に浴びせ去っていく。あまりにも典型的な描かれ方だから、観客は安心して笑うことができる。加えて、このようなストーリーをたどりながら、ロードムービーの本質と面白さとは、未来へ向けて何かを少しずつ獲得していくというよりも、過去に身につけてしまった何かを少しずつ棄て去っていくところにあると、改めて認識することになる。(さらに振り返ってみれば、本当に花蓮が妊娠しているかどうかさえも怪しく、そう疑ってみると、これは妊娠させた男を探す旅ではなく、それぞれの男からの別れを確認するための旅だったのではないかと思えるつくりになっている。)
▼だが、この映画の面白さは、そこにのみとどまるものではない。日常の伊呂波は、ストレスがあると固い駄菓子を齧り、入浴しないまま眠った翌日、「寝落ち」と言いながら朝食の席にやってくる。(こういうのを風呂キャンセルというのだろうが、私はよく知らない。)一方で伊呂波は、「いろは」ならぬ「あいう」という名前で、ラジオ番組に投稿する常連だ。投稿内容はよく練られていて、現実の体験からわずかに離陸し対象化する表現により、ちょっとしたスパイスの効いた笑いがもたらされている。
▼その番組を花蓮も聴いていて、ついに「あいう」の姉ですと名のりながら、「ポジティブについて」というテーマで、妹に匹敵する内容の投稿をする。姉妹の和解と言えば和解なのだが、それがラジオ番組の投稿を介して行われるあたりが、昔のリクエスト番組と同じだなという感想を抱かせ、苦いけれども少しだけほのぼのとした気分にさせられる。




