戦争トラウマが家族内に:「遠い山なみの光」(+2025年ベスト5)
Vol.112 更新:2025年12月20日
▼カズオ・イシグロの同名小説を原作とする映画「遠い山なみの光」(石川慶監督)の人間模様は、二組の家族から成立している。一組は、悦子(広瀬すず)と夫の緒方二郎、およびそのあいだに生まれた景子だ。映画では明示的には描かれていないが、悦子は二郎と別れ、新しい夫とともに英国で暮らすことになるものの、景子は自殺してしまう。他の一組は、佐知子(二階堂ふみ)および映画には登場しないフランクという米兵、およびそのあいだに生まれた万里子だ。万里子は、誰かから紐を用いた虐待に遭っていたことが示唆され、器物破損などの粗暴行為を繰り返す一方で捨て猫を可愛がっていたが、意に反する一家渡米を強いられ逃げ出そうとする。
▼これら二組の家族の背後に、朝鮮戦争の頃のナガサキが描かれている。具体的には、まず原爆をめぐる悦子と二郎とのあいだの齟齬がある。妊娠中の悦子に対し二郎は「被曝していなくてよかった」と語りかけるが、実際は被曝している可能性があるのにそれを口にできない悦子は悩む。このあたりは、現在の出生前診断や着床前診断をめぐる議論にまで通じるところだ。
▼また、戦前教育から手のひらを返したように行われた戦後平和教育への転換に伴う不連続の問題がある。悦子は結婚前は教員で、そのときの校長は夫である二郎の父親だ。父親は退職後に、現在は平和教育を推進している教え子の教員から機関誌で徹底的に批判されたため抗議に赴くが、相手にされず憤る。その背景には家父長制の崩壊が進行しているのに、それを受け入れられない家長たちがいる。
▼さらに、もはや仮構というしかなくなった家父長制の形式的連鎖には、暴力の連鎖が伴っている場合があることが示唆される。また、映画で語られる「川向う」には連続幼児殺害が生起し、おそらくその被害幼児と同等の被害を、幼い万里子が映画に登場しない大人から受けていたであろうことが暗示されている。もっというなら、これらの暴力の連鎖には、出征した兵士として体験した加害‐被害の戦争トラウマが関連し、それゆえに子どもたちに対する暴力の連鎖もまた形成されていることが、推測しうるように描かれている。
▼ところで、先に記した二組の家族とは、実は一組の家族を、記憶の混淆によって二組であるかのように認知し表出した結果だ。そこに観客が気づくと、原爆トラウマばかりでなく兵士としての戦争トラウマが暴力の連鎖とともに家族内に持ち込まれ、記憶が二重化するほどの状況を引き起こしていることが容易にわかる仕掛けになっている。作りすぎという気がしないでもないし、図式的との批判もありうるかもしれないが、それでも観る者は展開に思わず引き込まれ、「落ち」を堪能する以上の余韻が残されることも確かだ。
▼付記:座興として2025年のベスト5を挙げる(本欄でとりあげたもの以外)。「ドライブ・イン・マンハッタン」「愛の茶番」「逃走」「桐島です」「入国審査」。




