昔ながらの熱血青春映画:「サムライフ」
Vol.11 更新:2015年5月27日
▼キャッチコピーに「理想の学校づくり」という言葉が含まれているからといって、「サムライフ」(森谷雄監督)は不登校の子どもを主題にした映画では全くない。一口にいうなら、「青春とはなんだ」「これが青春だ」など昔の東宝学園シリーズと同様の、熱血青春映画だ。言い換えれば、徹底して教師目線の作品にほかならない。そこをわかった上で観るなら、まあ面白い、比較的安心して愉しめる映画だと思う。
▼長野県上田市で、27歳の元高校教師ナガオカは、「理想の学校づくり」を思い立った。その時の預金残高は725円。(ただし、貧乏だったためではない。それまで勤めていた学校からの退職金で自宅を建てたか買ったかしたためで、また、妻には収入がある。)ナガオカは、学校設立の資金を稼ぐためバーを開店し、そこへ、ケンジ、タカシ、ユミら、かつての教え子が集まる。学校設立資金捻出の一環として、ケンジらはナガオカの自伝を出版販売する。他方で、ナガオカは訪問カウンセリングのような活動も行う――。
▼こういうシンプルなストーリであるにもかかわらず、よくわからない描写も混じる。たとえば、学校が嫌いだったと言いながら、ナガオカには恩師らしき人がいるし、何よりも人脈の基本は学校つながりだ。また、三千部程度の本の出版利益が、学校設立に資するほどの金額であるとは、常識的には思えない。
▼そして、「カウンセリング」の相手である虐待(ネグレクト)家庭へは児童相談所とチームを組まずに単独で乗り込んでいるし、リストカットを繰り返す少女の家へは電話一本で駆けつけている。(感動するシーンではないからおそらく大丈夫だろうが、仮に勘違いで感動した観客がいても、決して真似をしないでほしい。いずれも九分九厘、悪い結果をもたらす方法だからだ。)
▼ついでにいえば、やたらに鉄道と鉄橋が人間と人間のつながり、あるいは現在と未来のつながりの比喩として使われているのは安易な気がする。(もっとも、熱血青春映画だからそれでいいのかもしれない。)加えて、わざと太陽光を採り入れてぼかしたような映像がしばしば挟まれているのは、どういうわけなのだろうか。(あるいは私の視力が悪くなっただけなのかも知れないが。)
▼これらのすべてに目を瞑れば、なかなかテンポもいいし、涙を誘う台詞も提供してくれている。とりわけ、ケンジの語る「俺は、バーだろうが学校だろうが、ほんとうは何でもいいんだよ」「俺たちを必要としてくれたことが嬉しい」(正確ではありません)といった言葉は、いろいろなNPO活動に携わる人たちの一部にとっては、本音なのだろう。
▼私は上田市へ行ったことはあるが、この映画の原作に書かれた「侍学園」については何も聞かされた記憶がない。だから、この映画がどこまで実際の姿を描いているのか、また、ある程度まで実際の姿を描いているとして、地元での評価がどんなものかは全く知らない。ただ、とりあえず映画についての私見を書きつけておきたかっただけだ。