児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

自閉症スペクトラムの啓発-教育映画:「そばにいるよ!」

Vol.6 更新:2015年1月8日

▼自閉症スペクトラムを主題に据えた映画が、少しずつ増えている。だが、そのうちの何割かは、啓発-教育映画と呼ぶしかないものだ。「そばにいるよ!〜自閉症(オーティズム)と車椅子の監督〜」(床波ヒロ子監督)も、その一つだといってよい。もっとも、啓発-教育映画としては、それほど悪くはない作品だと思う。皮肉をいうつもりはないが、文部科学省推薦にふさわしい作品だ。

▼車椅子の監督=槇坪夛鶴子は、輸血を受けながらも、馬淵晴子や米倉斉加年といった俳優を使って、「星の国から孫ふたり」を撮っている。その姿を、別の監督である床波が撮影する。こうしてつくられていくドキュメンタリーに、自閉症スペクトラムの子どもを持つ親の語りや、早期教育・早期発見の解説が挟み込まれる――。

▼このドキュメンタリーを貫く思想は、例によって、最近まで(そして今でも)誤解されることが多かった自閉症スペクトラムが実は脳の障害であり、それは早期発見・早期療育によって改善することを、観衆に対して啓発-教育するところに置かれている。だから、公式には、間違いとはいいにくいドキュメンタリーということになるだろう。(もちろん、早期発見・早期教育というスローガンに関しては、それを批判する意見が専門家のあいだに存在する。また、放置しておくと不登校やひきこもりになるという論調には、首を傾げる人が少なくないだろう。)

▼それにしても、私がとりわけ疑問に思うのは、槇坪監督による「星の国から・・・」(出典は門野晴子)という比喩を、床波監督がそのまま疑っていない点だ。自閉症スペクトラムを有する人々を異星人に喩える表現は、エイリアンの隠喩と呼ばれる。そして、エイリアンの隠喩を用いる人々のほとんどは、自らの善意を疑ったことのない定型発達者だ。しかし、このような善意を疑わずに、独立した芸術作品は成立しないのではないか。

▼先に記したように、この映画は、監督=槇坪の撮影風景を、別の監督=床波が撮影するという、入り組んだ構造を採用している。そのため、槇坪映画の俳優である馬淵晴子や米倉斉加年に、自閉症スペクトラムに関する偏見を解こうと呼びかけさせるような、インタヴューのシーンが混じる。

▼メイキングフィルムならともかく、こういう複雑な構造の作品は、よほどの技量を持つ者がつくらない限りは、映画であれ小説であれ、まず失敗するといってよい。複雑さを採用した監督や著者の姿は隠れ、ただ煩雑さのみを観客に強いる結果に陥るからだ。こういうつくり方と、先行作品の思想を疑わないままの撮影は、本質的なところで通底している。根本的な欠陥というべきだろう。

▼自閉症スペクトラムを主題とする映画が、啓発-教育映画の地平から離陸していくためには、まだまだ長い年月がかかりそうだ。