児童精神科医高岡健の映画評論

児童精神科医の高岡健さんが、子どもや家族を描いた映画について、語ります。

アスペルガー症候群の隠喩:「シンプル・シモン」

Vol.3  更新:2014年7月31日

▼スーザン・ソンタグは、癌をめぐる隠喩は軍事用語だと指摘した。腫瘍の「侵略」、体の「防衛力」、癌細胞の「破壊」などが、その例だ。

▼同様に、アスペルガー症候群を含む自閉症スペクトラム(最近はアスペルガー症候群という言葉は急速に用いられなくなり、より包括的な自閉症スペクトラムという用語に収斂されつつあるが)をめぐる言説では、機械の隠喩とエイリアンの隠喩が用いられると指摘した人たちがいる(Broderick, A.A. & Ne’eman A: 2008)。「壊れた」「修理の必要のある」そして「異空間へ引きこもる」「異空間からやってきた」などが、その例だ。

▼「シンプル・シモン」(アンドレアス・エーマン監督)には、機械の隠喩とエイリアンの隠喩が、随所にちりばめられている。というよりも、ほとんどそればかりとさえいってよい。アスペルガー症候群を有するシモンは、イェニファーという女性と2人でベンチに腰掛けて食事をするときでさえ、「遠地点速度の2乗イコール重力加速度」とつぶやく。また、シモンにとってもっとも安心できる場所は、宇宙船に見立てたドラム缶だ。

▼こういう隠喩が、アスペルガー症候群を理解しようとする善意の人たちのための、教科書における記述のように扱われることは、必ずしも悪いこととはいえない。だが、ひとたび娯楽映画作品の表現として眺めたときには、お行儀のよい凡庸さを免れない。

▼たとえば仕事場には「1日に7時間、週に5日、1年に13太陰月働く。13が不吉だとは思わない。自分以外の数では割り切れない素数。僕と似てる。」というシモンの声が響く。だが、素数に関しては、はるか以前にイギリスで出版されベストセラーになった児童書『夜中に犬に起こった奇妙な事件』(邦訳は早川書房)の章立てが素数のみでなされていたことからもわかるとおり、知られすぎている比喩だから映画表現としては退屈だ。

▼まったくの私の偏見かもしれないが、シモンの国(スウェーデン)の社会における大衆の愉しみは、いまやスポーツと宝くじ程度に限定されてしまったのではないか。だから、娯楽映画もまた、こういう表現に落ち着くのだろう。それでも、苦手なはずのドラムの練習を、シモンが繰り返すシーンは微笑ましかった。そこだけが、この映画を教科書から脱出させていて心地よかったといえる。

▼蛇足。私の聴き取りの間違いでなければ、スウェーデンでもアスペルガー症候群を「アスペ」と略すようだ。たしか、オーストラリアでは「アスピー」だったが―。いずれにせよ、アスペルガー症候群という用語は消えていき、自閉症スペクトラムに統一されるという流れは、とりあえず正当だと私は思っている。知的障害を伴う自閉症スペクトラムの人々とのあいだに、分断線が引かれるべきではないと考えるからだ。

▼そうすると、シモンが胸につけていた、「Asperger」と書かれた缶バッジも、作りなおされるのだろうか。なお、字幕監修は畏友山登敬之(東京えびすさまクリニック)さん。