18・19歳少年を特定少年とする法案 〜ソーシャルワーカーが少年から学んだこと〜
更新:2021年3月16日 寺出壽美子
今国会で少年法の18・19歳少年を特定少年とする法案が上程される見通しです。1990年代から25年間、少年事件の少年の立ち直りに関わっている立場から想いを述べてみます。 逮捕された少年とは留置所や鑑別所で出会い、面会を重ねる中で審判に向けて意見書を作成して家裁に提出します。試験観察や保護観察になる審判では出廷することもあります。少年院での面会や保護観察中の少年との面接を通して、これまで多くの少年の立ち直りの現場に遭遇して来ました。 今回の法案の上程が少年事件件数の増加や重大犯罪の激増を背景としているのであれば理解できますが、少年事件件数も重大事件も激減している現在、何故特定少年の新たな位置づけが必要なのかという素朴な疑問が先ずあります。立ち直り支援の現場では運用面において改善していってほしいことは沢山あります。けれどもそれは少年法という法律の中でのことです。世界の中では、日本は少年法並びに少年の立ち直りがうまく機能していて再犯率も低いと評価が高いのです。 少年院の中で、手紙のやり取りと面会を通して繋がっていた或る家族関係の希薄な少年は出院してから、「僕は少年院であの教官と出会ったことで、生き方を変えることが出来た。」と、語ってくれました。その教官には私も何度も会っていましたので、穏やかなその教官に少年が出会えたことに感謝の気持ちで一杯でした。 また別の少年は、少年院を出てから数年後に出会った時、「僕は作文が苦手で、考えをまとめて書くことや、書いたことをうまく伝えることは全くお手上げ状態だったけれど、反省文や作文を何回も書かされ、面接指導でさらに書き直さなければならず、少年院を出る頃には以前の苦手意識はなくなって、お陰で今は考える力が身についたように思う。」と語っていました。 少年院では、毎晩、日記を書くことが日課となっています。見学の際に見せて貰った10数冊の日記帳には、読み終えるのが大変な分量のさまざまな内容が記されていました。毎日の日記を書くことも大変ではありますが、当直の教官は担当の少年の人数分、日記の下欄に一人ひとり感想を記入しています。特に少年が気に入っている教官が当直の日には、少年は教官の感想を読みたくて気合を入れて日記を書くのだと聞いたことがあります。 今後、特定少年の逆送事件が増加する可能性が憂慮されますが、少年院と少年刑務所の両方の経験のある若者からは、少年刑務所では作文や面接は特別に課されないので、自ら申し出なければ実現もしないと聞いています。少年院では、少年がもう少し減らしてほしいと思うほど作文や面接・日記を課されるのに対して、一方少年刑務所では自身の起こした事件や過去の問題に向き合わせる姿勢も機会もほとんど皆無な状態です。 少年院では、少年法に基づいて少年の可塑性を信じて昼夜を問わず真摯に向き合ってくれる担当教官がいますが、少年刑務所では日中と夜間では対応する教官も入れ替わり、昼間は作業が中心となります。少年刑務所の体験者からは、「多くの入所者は刑務所に居る間に出来るだけ仲間を作って出所後もつるんで行けたらとの期待があって、逆に真面目に立ち直ろうとしている奴はおかしな奴という雰囲気が流れている。工場によって程度の差はあるけれど、足の引っ張り合いや喧嘩、対立が頻繁にあり、努力している人をあざ笑う空気が流れている。」と聞いたことがあります。 以上、少年院と少年刑務所では、法律に基づく関わりが根本的に異なります。10代後半の少年の立ち直りの現場に居ますと、人生80年、90年という時代に、人生の入り口で、何故逆送事件を増やし名前を公表して立ち直りへの負荷をさらに重くしなければならないのか、今一度考え直す必要があると思います。事件を起こす少年は親から十分に受けとめられ安心な子ども時代を送ることが出来なかった、或いは過酷ないじめやさまざまな背景を背負わされて子ども時代を送った者です(少年院の少年で児童虐待を受けた子どもは約60%、女子だけでは70%)。いじめの被害者が反撃して少年事件を起こせば罰せられ、いじめの加害者たちは罪を問われないという矛盾。少年事件を起こした家庭の背景には、ひとり親家庭、特に母子家庭の経済的貧困や、大学進学率が50%を超えている現在、少年自身の学歴は中卒・高校中退が一番多いという構造的な問題があります。さらに、知的には18歳ころに成熟しますが、精神的な成熟は20代半ばまで掛かると最近の脳科学で判明しました。精神的な成熟には時間を要するということを認識しておく必要があると思います。 少年院と少年刑務所どちらに入ったとしても、先ずは特定の担当教官の下で、作業ではなく中学校の義務教育からやり直し、通信制高校卒業や高卒認定の取得、職業訓練等に向けての機会を優先的に選択できる道を開いて行くことの方が、18歳・19歳少年を特定少年に位置づける法制化よりも先ではないでしょうか。 ひとは厳罰を課されることで変わることは出来ません。自分のことを親身に受けとめてくれるひととの出会いによって初めて変わっていけるのです。どうか再度ここで、現行の少年法のよさを見直して、日本の少年の行く末に希望がもてるようにと願ってやみません。