2019.5.28 に起きた川崎事件から考える
更新:2019年06月3日 寺出壽美子
先週火曜日に登戸で、スクールバスを待っていた私立カリタス小学校の生徒の列に岩崎容疑者が次々と包丁で切りつけて20名の死傷者が出る事件が起きました。 連日、さまざまな報道とコメンテーターの言がメデイアを通じて流されています。 この事件について私は2点に焦点をあてて書き留めてみたいと思います。 多くの犠牲者を生み出したこの痛ましい事件の被害者の方々は言葉では言い表せない苦衷の中でお過ごしのことと思います。その上で、ソーシャルワーカーの立場から、このような事件を起こさない為の視点は何かを考えてみたいと思います。 第1点目は、テレビで、「こういう人間は何万人の中には生まれて来てしまうことは仕方がない」、という発言がありました。1997年に起きた神戸の事件の時にも、神戸のA少年は生まれながら事件を起こす特性を持っていたと語られていたことを思い出しました。果たして生まれながらに犯罪を起こすべくして生まれてくる人間が存在するのでしょうか。この世に生を受けた子どもがすでにたくさんの犯罪因子を抱えて生まれてきているのでしょうか。 私は、それは胎児の段階からと考えていますが、その子どもはどのような養育者の下で生を受けたか、どのような養育者に受けとめられて育ってきたか、という点に尽きると考えています。言いあらためますと、子どもは養育されるひと(理想は産んだ母親)からどれだけ無条件に受けとめられて来たか、それとも来なかったか、その1点によって、その子どもの内部に生きていく基盤を根づかせてもらっているか、それともその基盤が根づかずに生き難さを抱えながらしか生きていくことが出来ないかだということです。勿論、生き難さの中にもいろいろあると思いますが、生きていくことの困難さを抱えて自死への思いを強めている段階と、他者への暴力衝動に突き動かされる段階は違います。他者への暴力衝動が強化されるには、それだけ他者からの受けとめが希薄なだけでなく、ひとことで表現するなら児童虐待下に或いはいじめ等の下に長期間さらされてきたかということだと思います。児童虐待といっても、身体への暴力やネグレクトだけが児童虐待ではありません。心理的虐待の下で、不安におののく期間が長期に渡っているのもまさしく児童虐待です。という訳で、子どもは10歳くらい迄にどういう養育者のもとでどういう関係性の中で甘えを受けとめられてきたか、どれだけ安定した基盤がその子どもの内部に築けているかが最重要な課題です。従って、養育者と子どもとの関係を外して、本人の生まれながらの素質が犯罪を起こすという考えは養育者の問題を逆に隠蔽してしまうという別の大きな問題を孕んでいると考えます。 2点目は、今回、多くの立場の方がひきこもりが犯罪を誘発するわけではないと発言しています。また、ひきこもりの方に、最初に働くようにと助言することは好ましくない、と話していました。社会のひきこもりへの理解が少しずつ進んで来ていることを感じています。それでは、事件を未然に防ぐにはどうしたらよいのでしょうか。人間は人間の中で生きている訳ですから、今回の岩崎容疑者も51歳までに、彼を受けとめてくれる大人との出会い、話をそのまま親身に聴いてくれる大人との出会いがあったなら・・と思わずにはいられません。ひきこもりの対策として論じられるのは、ひきこもったら早く対応しなければという掛け声だけは大きいようですが、本人を受けとめよう、本人の気持ちを聴こうという立場からではなく、どちらかというと早く独り立ちするために働く道筋を考えようとの対策や指導ばかりが目につくように思います。ひきこもる以前から、或いはひきこもった後で、ひきこもっている本人のことを一緒に生きていく家族の愛すべき一員と家族が思っているかいないかは実は大きいことだと思います。ひきこもっている本人が例え言葉として伝えられていなくても、親からどのように思われているかは一番気に掛かっているからです。親や家族でなくても受けとめてくれる誰かとの出会いがあれば、そして親や家族は例えひきこもっていても大切な家族の一員だよとのメッセージが言外だとしても伝わっていれば、人間は自暴自棄の他者攻撃の衝動にまで突き動かされることはないと思っています。 いつも感じることですが、自身の立ち位置はその場から離れた第3者として論評する人が多いように思いますが、もしその当事者と全く同じ環境、全く同じ養育者のもとで育っていたらという視点に想像力を巡らせることは大切だと考えています。 以前に、「多くの人を道連れに死んで行きたい・・」と、吐露されたことがあります。そこまで追い詰められたその人間の人生はやはり想像を絶する人生を歩んで来ています。人間はどんな人間でも不登校・ひきこもりや自殺願望、そして犯罪者にもなりうる可能性を秘めた存在であることを、私は自戒を込めつつ私が生きていく出発点と考えています。 (芹沢俊介著『家族という意志』(岩波新書) お薦めです。)